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2008年12月19日 (金)

Dog Eat Dog

自分を失うことは恐ろしい。愛も恋人も大事なのかもしれないが、やっぱり自分が大事だ。自分を失うことは死に等しい。愛する人のために職を捨てられるかときかれたら僕は捨てられないと答える。職を捨てることが愛だとは思わないし、もしそれが愛なんだとしたら僕は愛なんていらない。

それは「我が強い」からとか「自分を持っている」からではなく、僕が人間だからだ。僕は人間だから、自分が一番大事なのだ。それに自分への愛がなければ人への愛もぺらぺらになってしまう。

確かに僕は君と付き合ってからだいぶ変わった。よくも悪くも変わった。ある点では男になったしある点では大人になったしある点では子供っぽくなったし馬鹿になった。そして全体的に幸せになった。ただ僕は変わったのであって自分を失ったのではない。自分の主義を崩してはいるけど、僕は僕として死んだわけではない。

クリスマスに恋人にプレゼントを贈るなんて、正直言って趣旨が理解不能だ。恋人の誕生日ではなく、キリストの誕生日にプレゼントだなんて。それならキリストにプレゼントをやればいい。僕はキリストが嫌いだからやらないが。

君に何かプレゼントを贈る機会を与えてくれたことには感謝しなくちゃならないが、僕の主義がそれを認めない。全国の恋人たちが一斉に、同時に、しかも特別でも何でもないただの日に、プレゼントをわけもわからず何となく贈っているのだ。口では「喜ぶ顔が見たいから」とか「思い出を形に残しておきたいから」とか綺麗なことを言ってはいるが、実際まわりのみんながやっているからそれに乗っかる、というのが典型的な日本人なのだ。みんな贈らなきゃ自分だって贈らない。ちょっと立ち止まってそういうことに気づくことが出来るのは恋人のいない冷静な人たちであって、僕のように浮かれている人間はたいていそういうことに気づかない。

でも僕はその事実を忘れてはいない。それは人間だからだ。まともな人間ならこの風習はわけがわからんということに気づくんだ。人間らしく生きていればこうはならないんだ。これが僕の主張である。

別に金が惜しいわけではない。君が喜ぶんならお金は気にしない。稼げばいいのだから。ただおかしな現状に待ったをかける、的な僕の中心にある主義が、どうもプレゼントを否定してしまうのだ。

もし僕がクリスマスにプレゼントを贈ったりなんかしたら、それはら抜き言葉を多用したり「すごい+形容詞」のような言葉を多用したり大学にパジャマで通ったりするようなのと一緒だ。大事なことは時代にのっているかどうかではなく、正しいかおかしいかということだ。ら抜き言葉や「すごい+形容詞」は若者の半数以上が使っちゃっているからもう正しいことにしちゃってもいいんじゃないか、といわれたらだめなんである。間違っているものは間違っている。大学にパジャマで来る人は、「かっこいいと思う人もいるんだからいいんじゃないか」、といわれたらやっぱりだめなんである。僕がそれをかっこいいと思おうとかっこ悪いと思おうと、彼らは絶対的に「みっともない」のだ。それは主観や客観を超えた、「絶対」の世界だ。

そして僕に言わせると、クリスマスにプレゼントというのもおかしな話である。

僕は君にプレゼントを贈りたいという気持ちはすごくあるし、君も世間の人だからクリスマスに対する期待というのは高いだろう。僕は君に最高な時間を過ごしてもらいたいと思っている。

しかし僕が君にプレゼントを贈ることは自分を失うことにつながるのだ。僕の柱を失うことにつながる。だからつらいのだ。僕はいつも正しい視線で世界を見ようと思っていたし、人間らしくいようと思っていた。でもここでそれが倒れようとは…。

でもたぶん贈っちゃうんだろうな、まじめなやつ。

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