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2008年12月

2008年12月30日 (火)

オーディションのような

君は今まで何人かの男性と付き合ってきた。
僕は今まで何人かの女性を好きになり、その全てがうまくいかなかった。
僕は今の君が好きだし、君は今の僕が好きだ。
今の君は、過去があっての君であり、今の僕は、過去の僕があっての僕だ。
つまり何人かの男性と付き合って来なければ今の君(かわいく、やさしく、あたたかく、そして一般人を超越している)は君ではない。
僕も、どれか一つでも思い通りにいくようなことがあったとしたら、もっと欲深く、腹黒く、傲慢だったかもしれない。
二人にはそれぞれの過去があるから、二人の現在があるのだ。
僕はそれをいまだにうまく受け入れられていない気がする。
忘れているだけ、あるいは考えないようにしているだけなんだ。

いつだったか君は、初体験の相手が僕だったら良かったのにと言った。
本当にそうだと思う。
僕の初めての相手は君だが君の初めての相手は僕ではない。
それによって助かることもあるけれど、初めてではないことは、つまり過去がないことは、特に僕にとって重大な意味を持つのだ。
手をつなぐ時、唇を合わせる時、君が服を脱ぐ時、僕が君の体に触れる時、君が僕をくわえる時、僕が君の中に入る時…
かつてはそういった権利が他の誰かに属していた。
僕の知らない誰かが君にそれをしていたことを想像すると気持ち悪い。
前ほどそんなことは考えなくなっているのだけれど。

一生のうち、1人の人と付き合うことは素晴らしい。
2人と付き合うのは、誰とも付き合わないのと変わらない。
3人以上と付き合うなら誰とも付き合わない方がましだ―――

現代でそんなことを言うのは時代遅れだが、感覚的に僕はそれがしっくりくる。

僕はまだまだ心が狭いっ。

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2008年12月27日 (土)

恋をするなら

クリスマスをした。

朝、君と一緒に寝た。
目が覚めるとそこにはむにゃむにゃの君がいた。
僕達は一時間ほど一緒にむにゃむにゃして、それからプレゼントを交換した。
僕は結局本気のプレゼントを買ったのだ。
君を喜ばせたい、と思ったから。

僕達はケーキを作った。
付き合い始めの頃に立てた計画が、実行された。
あの時の(たった4ヶ月前だが)二人と今の二人では、変わらないようでいて変わっていると思う。
二人の距離は縮まっていき、お互いに考え方が少しずつ変化している。
それでいて、4ヶ月前の計画を実行したんだ。
僕はこれからも二人の計画をコツコツと実現していきたい。

僕達は多摩センターに行った。
僕はほぼ初めての、多摩センターだった。
ぶらっと三越に行って、ぶらっとご飯を食べ(ぶらっとと言いつつそこそこ高い!値段はちっともカジュアルじゃない)、ぶらっと君のバイト先に行って、ぶらっと帰ったりした。

クリスマスだから特別、ロマンチックだったとか幸せだったなどとは思わない。
合宿も、品川もお台場も、立川も、聖蹟桜ヶ丘も、下北沢も、君と過ごす時はどれも素晴らしくて幸せだと思う。
僕たちにはクリスマスなんて関係ないんじゃないか、と僕は思う…。

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2008年12月25日 (木)

悲劇のヘロイン

ケンとユーキが僕の家に来て、3人でそこそこ大事な話をした。
僕は現実的で堅実な道を選ぶのだと言った。
やりたいことはあるけれど、それは世間が許さない。
というのは生きていけないという意味だ。
一人でなら何とか生きていくことは出来るにせよ、僕は家族(僕を育てた家族と、これから出来る新たな家族の両方)を養うという責任感を強く持ち始めている。
僕の幸せは自分のやりたいことをやることじゃない。
そんなに欲深くない。
僕は君を養いたい。

このブログは君のブログに対抗するつもりで立ち上げたブログだ。
君のことをこのブログに、それ以外は名も無き…に書くつもりだ。

ブログがまた増えた。

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2008年12月22日 (月)

天皇誕生日は何故休日か

甲本ヒロトがブルーハーツ時代に残した名言の中に、
「幸せを手に入れようとするんじゃない、幸せを感じることの出来る心を手に入れるんじゃ。」
というような言葉がある。

僕はこの言葉があまり好きではなかったが、あまりにも衝撃的だったためにずっと心に残っている。
それは、幸せではないことも無理やり幸せだと思い込ませるようなことに思えて何となく好きではなかった。
幸せに対して妥協していることなんじゃないかと思った。

僕は世の中に対して、生きることに対して、あまりにも多くを要求していたように思う。
まわりの人がみんな満足しているように見えたからだ。
大学に通う僕のまわりはやっぱりほとんど大学生だ。
そしてその多くが馬鹿で呑気で安くて軽い者だ。
僕には彼らが満足しているように見え、やたらと目について鼻についた。
口では侮辱しながら少しだけ憧れた。
馬鹿になりたい…。

何やかんやしているうちに僕は妥協を覚えて、色んな点において諦めや挫折をして、程々にハードルが下がっていった。
つまりあまり求めなくなった。
というより期待しないことにした。

そこら辺のタイミングで君が現れたんだ。
君がパートナーになった今では、ハードルもだいぶ下がった…つもりだ。
君がいれば、あとは特に欲しいものはないと思えるようになった。
君との恋が妥協だと言っているんではない。
君は僕にとってこれまでにない、でもってたぶんこれからもない、最高のパートナーなのだ。

ただ、考えようによってはタイミングが良かったな、と思えるのだ。
もし君が不満だらけの僕と出会っていたら、それは何となく恐ろしい。


さて、念願だった馬鹿で呑気で安くて軽い大学生になれた僕だが、きっと去年の僕が見たらやっぱり殴り殺したくなるのかもしれない。

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デイアフターデイ

人に過去を話すことは、僕にとって同情を買うこととニアイコールだ。
僕は寂しかったのでそればかりやってきて、その行為自体が虚しいことだと気付くまでにある程度の寂しい思いをしなければならなかった。
そうして結局空っぽの同情を少しだけ買った。

過去の話をしたくないのはその反省だろうと思う。
それだけではないのだけれど。
こうして少し前のことに触れただけでも恥ずかしい。

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2008年12月19日 (金)

Dog Eat Dog

自分を失うことは恐ろしい。愛も恋人も大事なのかもしれないが、やっぱり自分が大事だ。自分を失うことは死に等しい。愛する人のために職を捨てられるかときかれたら僕は捨てられないと答える。職を捨てることが愛だとは思わないし、もしそれが愛なんだとしたら僕は愛なんていらない。

それは「我が強い」からとか「自分を持っている」からではなく、僕が人間だからだ。僕は人間だから、自分が一番大事なのだ。それに自分への愛がなければ人への愛もぺらぺらになってしまう。

確かに僕は君と付き合ってからだいぶ変わった。よくも悪くも変わった。ある点では男になったしある点では大人になったしある点では子供っぽくなったし馬鹿になった。そして全体的に幸せになった。ただ僕は変わったのであって自分を失ったのではない。自分の主義を崩してはいるけど、僕は僕として死んだわけではない。

クリスマスに恋人にプレゼントを贈るなんて、正直言って趣旨が理解不能だ。恋人の誕生日ではなく、キリストの誕生日にプレゼントだなんて。それならキリストにプレゼントをやればいい。僕はキリストが嫌いだからやらないが。

君に何かプレゼントを贈る機会を与えてくれたことには感謝しなくちゃならないが、僕の主義がそれを認めない。全国の恋人たちが一斉に、同時に、しかも特別でも何でもないただの日に、プレゼントをわけもわからず何となく贈っているのだ。口では「喜ぶ顔が見たいから」とか「思い出を形に残しておきたいから」とか綺麗なことを言ってはいるが、実際まわりのみんながやっているからそれに乗っかる、というのが典型的な日本人なのだ。みんな贈らなきゃ自分だって贈らない。ちょっと立ち止まってそういうことに気づくことが出来るのは恋人のいない冷静な人たちであって、僕のように浮かれている人間はたいていそういうことに気づかない。

でも僕はその事実を忘れてはいない。それは人間だからだ。まともな人間ならこの風習はわけがわからんということに気づくんだ。人間らしく生きていればこうはならないんだ。これが僕の主張である。

別に金が惜しいわけではない。君が喜ぶんならお金は気にしない。稼げばいいのだから。ただおかしな現状に待ったをかける、的な僕の中心にある主義が、どうもプレゼントを否定してしまうのだ。

もし僕がクリスマスにプレゼントを贈ったりなんかしたら、それはら抜き言葉を多用したり「すごい+形容詞」のような言葉を多用したり大学にパジャマで通ったりするようなのと一緒だ。大事なことは時代にのっているかどうかではなく、正しいかおかしいかということだ。ら抜き言葉や「すごい+形容詞」は若者の半数以上が使っちゃっているからもう正しいことにしちゃってもいいんじゃないか、といわれたらだめなんである。間違っているものは間違っている。大学にパジャマで来る人は、「かっこいいと思う人もいるんだからいいんじゃないか」、といわれたらやっぱりだめなんである。僕がそれをかっこいいと思おうとかっこ悪いと思おうと、彼らは絶対的に「みっともない」のだ。それは主観や客観を超えた、「絶対」の世界だ。

そして僕に言わせると、クリスマスにプレゼントというのもおかしな話である。

僕は君にプレゼントを贈りたいという気持ちはすごくあるし、君も世間の人だからクリスマスに対する期待というのは高いだろう。僕は君に最高な時間を過ごしてもらいたいと思っている。

しかし僕が君にプレゼントを贈ることは自分を失うことにつながるのだ。僕の柱を失うことにつながる。だからつらいのだ。僕はいつも正しい視線で世界を見ようと思っていたし、人間らしくいようと思っていた。でもここでそれが倒れようとは…。

でもたぶん贈っちゃうんだろうな、まじめなやつ。

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2008年12月18日 (木)

コーラ?ローラ。

さっきまで雨が降っていた。
空には雲がかかっていて、その隙間から月が光っている。
今日の月は大きくはないけれど、まわりの雲に光を散らしていて存在感がある。

星もたくさん見える。
僕が唯一知っているオリオン座以外にも、たくさんの星が浮かんでいる。


今日はライブだった。
僕はライブの時も特に緊張はしないが、今日はいつもと違ってドラムだったんだ。
ドラムは怖い。
ベースの時は音のズレは許されるが多少のリズムのズレなら素人にはばれない。
でもドラムがリズムでずれるとばれるのだ。
だからドラムは怖い。

楽器を演奏している時は、ほとんど音楽のことを考えていない。
意識は確かだけど何も考えられず、ただ妙に理性が働いて、無心で、時間がゆっくり流れていく気がする。
ある時自分がそういう状態にあることに気付いて妙に焦ったりするんだ。
演奏中も何か考えていなくちゃいけない気になって、当て付けのように曲のことを考えたりする。
次のフレーズについて考えてみたり、リズムキープに精神を無理やり集中させてみたり。
一度そういう状態に陥ってしまうともう、普段の日常生活とは全く違う時間の流れの中に身をおいているような感覚になる。
変に頭を使うことに集中してしまう。

曲のことだけにとどまればいいのだけど、止まらなくなると女の子のことを考えたりする。
気になる女の子が観に来ていたらその子のことを観ながら演奏をして、観に来ていなかったら頭で思い浮べるんだ。


イギリスでのライブ中はずっと君のことを考えていたんだ。
そして今日のライブでも突然頭が冴えて、その余裕を君を思い浮べることで埋めた。
不思議な感覚だった。
バンドに集中しなきゃとも思ったし、早く家に帰りたいとも思ったし、そして君と会いたいとも思った。


そうしてライブが終了したとたん、僕は元の時間軸に引き戻されるのだった………。

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2008年12月17日 (水)

戦わなければ生き残れない

変わらなければならなかったので、変わった。

半年前と比べたら僕は本当に変わったと思う。

まず大きな変化は、これはいいことなのか悪いことなのかわからないが(少なくとも僕はいいと思っている)、考え事をしなくなったことだ。

今となっては一日に一時間も考え事をしないようになったが、かつては寝ているときと飯食ってるとき以外はだいたい何か考えてる、という時期があった。

時期があったというと一時的みたいだが、二年間くらいはそんなんだったんだ、確か。

僕は、馬鹿って幸せだなーと、しみじみ実感するのだった。

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デリカシーのかけら

手袋をはめていたら、いつの間にか手袋の匂いになってしまった。
ちょうど一週間前、僕が自転車で大学まで行った時、雨に濡れて手袋が臭くなってしまったのだ。

君の匂いは無くなり、手袋の匂いになった。
手袋は匂いじゃなく「臭い」だ。


手を洗おうっと

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ピザまん

僕の手は今君の匂いがする。
いや、君の部屋と君の体の匂いがする。

僕が初めて君の部屋に上がった時―よそん家(友達ん家)の匂いがした。
友達ん家独特の、自宅にいては絶対に漂うことのない匂いだ。
その人が食ってきた物と着てきた物と少しの無理やりな飾りつけ(香水とかシャンプーだ)が交ざった、その人の生活の匂い。
自分では気付くことのない匂い。

君の部屋の匂いが僕の手から匂う。
君が僕の手の中にいるようで、素敵だと思った。

今手から匂うのは君の家にさっきまでいたからだが、僕のセーターの中には、僕の自宅にいても君の部屋の匂いのするセーターがある。
セーターに、住みついてくれたのか。


二人で暮らしたら。
君の匂いを感じなくなるのだろうか。
僕の生活の匂いになるのか。
二人で別の新しい匂いを作るのか…。

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