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2009年1月

2009年1月30日 (金)

意地で自慰

君には僕の過去がどう見えているのかしらん。
というより、現在の僕が自分のことをどう見ているか、ということについて君がいかに考えているのかは、僕は知らない。
何だか無理やり日本語訳した英文みたいだ。

僕には想像出来ないような暗い過去があって、想像出来ないようなつらい思いをしてきたのだろう、と思っているのかもしれない。
あるいは君は大して気にしていないかもしれない。
興味はあるけど、聞いちゃいけない過去があるんだろう、と思っているのかもしれない。
聞いたら思い出してつらくなるんではないか、と思っているのかもしれない。

君が大して気にしていないのなら、君はこの記事をこの先読む必要はない。
少しでも気になるなら、読んでくれたらいいと思う。

僕には暗い過去は特にないし、つらい思いというのは想像出来る範囲内だ。
それは、好きな人が自分を好きでない、という程度だと思っておけばいい。
それに僕の過去については君が聞きたければ聞いてもよいのだ。
思い出してつらくなるということはない。
過去になってしまったものなんて大して覚えてないし、覚えていたとしても事実しか覚えていない。

僕は単に、過去を考えるより現在を考えた方が実益があるし効率がいい、と思っているだけなのだ。
だから君は尋ねたかったら僕に尋ねればいい。
僕は、直接でも電話でも、ブログでも、答えることは出来るんだ。

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2009年1月29日 (木)

君の秘密よりも
キューピーちゃんを失ったことの方が

どちらかというとショックだよ。

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2009年1月28日 (水)

アルパカ

君にいざなわれて、はだかのまま君の中に入っていくことが最近よくある。

確かにゴムを身にまとって中に入っていくよりも、はだかのままの方が気持ちがいい。

でもいわゆる「ガマン汁」にも精子は含まれているらしく

もう大人なんだからそこはやっぱり律するものがないとだめだ、と後悔。

ゴムを着るのには時間がかかる。

そのせいで雰囲気は途切れてしまう。

そして気持ちよくなくなってしまうし君は痛くなりやすくなる。

しかししかししかしやっぱりそれはイカンのだ。

僕たちは大人なのだ。

大人らしく責任ある行動をしなくちゃならないのだ。

と、成人式の市長の挨拶のようなことを言ってみた。

僕は気持ちのよいゴムを探すので、君はピルの購入も考えてくれるとうれしいな

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2009年1月25日 (日)

コラーゲン

とは言いつつも


26日にテストの山場をむかえ
27日にテストが終わる
僕と君の我慢の日々はようやく幕を閉じる。
君は調子が狂うくらいにこの日々を苦しみながら過ごしてきた。
結果はどうあれ、成績発表の日まではとりあえず晴れやかな気持ちで日々を過ごすことができる。
僕は28日〜31日まで4日連続でバイトがあって、深夜も含むからなかなか時間が作れないのだ。
だから27日だけは、盛大にパーッと楽しいことをしたいと思ってたんだけど。
君がその日約束があるってことは聞いてたんだけど。
君があまりにもその日の友達とのカラオケの約束を楽しみに喋るから、僕は途方も無い淋しさに襲われて、言ったらいけないとわかっていつつも、意地悪く甘えを口に出してしまったんだ。
僕の淋しい思いを聞かせたって何のいいこともないのに。

それはいつものテスト後と何ら変わりのない、ひとりぼっちの解放感。
解放しきれない、気が抜けただけの解放感。

それは何でもない、僕らしいひとときなはずなのに、君が友達と楽しくカラオケしてお酒飲んでしているかと思うと僕は猛烈に寂しくなって、猛烈に羨ましくなって、ウズウズして、いてもたってもいられなくなる。


27日はおそらく僕はCDをたくさん買わないしお酒をたくさん飲まないしバンドメンバーを呼んで遊ぶってこともしないのだろうと思う。
それらは明らかに僕の心の隙間を埋めようとするには場違いだ。
ほしいのはそれじゃない。

それならもう、寝た方がいいのだ。

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2009年1月23日 (金)

ストロボ、とにかく

僕は自分がつらい時や苦しんでいる時に、あまり人に介入してほしくないと思ってしまうたちの人間だ。
僕の気持ちをわかったつもりになってんじゃない、と思うし、上から励まされているようで、よほど淋しい時以外はほっといてくれと思う。
なので人に対しても、本気で苦しんでいそうな時は介入しない。

でもテストを通しておかしくなっちゃった君を見ていると、声をかけずにはいられなくなってしまったのだ。
だからおせっかいみたいなメッセージをブログに載せてしまったのだ。


頼ってよ。

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かぼす的

そりゃ僕だって甘えているんだ。

…安心しきっているという意味では。
君は求める形で僕に甘えたりするけれど、僕はあまり目に見える形で甘えることはない。
君の存在に甘えているといった方がいいかもしれない。
まあつまり君が存在している限り、あとはもうどうでもいいや、とか思ってしまうのだ。
というわけで僕も相当甘えているのだから、君だって強がらずに甘えてきたって構わないのだ。

と、論理的に演繹出来ていない文章になってしまったけど、とにかく君はそう悩む必要はない。
君は自分の甘えに、痛々しいほど自責するけれど、「壊れちゃうから距離を置いた方がいいかも」とか言うなら強がらないでほしいな、と思っている。
「距離を置いた方がいいかも」発言は正直言うと結構ショックだったのだ。
僕はわからないけども、自責するから壊れるんでは?
と思う。


好きなんだよ。
大事なんだよ。
守りたいんだよ。

文章がカオス的(@゜▽゜@)

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2009年1月21日 (水)

そしてそれから

人を好き過ぎて嫌いになったことがあるだろうか。
愛憎というのはどういうもののことを言うのかわからないけど、好きな人を嫌いにならなければならないことほどつらいものはない、と僕は思う。

好きになればなるほど嫌いになるし、嫌いになればなるほど好きになっている。
という芸術的なまでの自己破滅シーンはできれば体験したくないものだ。
それは「好き」と「嫌い」は紙一重ということを表しているのか、方向性を誤ったということなのか。

相手方も勝手に好かれて勝手に嫌われたんではさぞ迷惑なことだろう。
好き過ぎて嫌いになるなんて、とにかくいやだ。


君が僕を好き過ぎて嫌いになったら、そして恋が終わったら、僕はちょっとムカついて、それから感謝の心を使いきるだろう。
あ、そんな想像はしたくないのに。

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2009年1月19日 (月)

不完全な技術教育

初めて会った時の印象が、その人とあまり深く関わる前に先入観として自分の中に定着してしまうことは、結構あることだと思う。
そう考えると、深い関係を築くことは、先入観を崩していくという側面も持っているのだ。

僕は君に対して、大人っぽいというイメージと、お金持ちだというイメージを持っていた。
お金持ちのイメージに関して言えば、単に金遣いのあらさの問題ということがすぐにわかった。
でも大人っぽいかどうかというと、大人っぽい面もあるし子どもっぽい面もあって、どっちだかわからない。
でも最初よりもずいぶん子どもっぽい面が見えるようになって来て、嬉しい。
イメージでは君は「完成された大人」で、僕は「大人ぶってる子ども」だった。
でも、今は君は「土台は大人だけどそれ以外は子ども」で、僕は「子どもぶってる未完成の大人」だ。


でも二人が一緒になると、「完全に子ども」になる。
子どもと大人のどちらがいいとかいう話ではなくて、そんな印象。

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2009年1月14日 (水)

人にやさしく

年初めに「今年の目標」や「今年の抱負」を掲げることがある。
僕はここ何年もそれをやっていなくて、人に聞かれたら「特に目標を作らないことが目標」などと答えていたのだけど、2008年は「人にやさしくしよう」と思っていた。
年初めではなく、また抱負のつもりでもなく、それは反省や誓いの色が強かった。
「人を信じられないのは人に信じられないからだ」とか、いやその逆だとか、そんな比較的意味のない葛藤はもう必要ではなく、とにかく「人にやさしく」しないとだめだと思った。
人にやさしく―――その方向性を間違えてしまったり、それを仇で返される形になって嫌になって折れてしまうこともあったような気がする。
人にやさしく―――それは目的になってはいけないのだ、手段でなければ。


僕が幸せになった頃には、そんなささやかな誓いがあったことなど忘れてしまっていた。
実はそれを思い出したのはつい最近だ。

君は僕のやさしさについて過大評価をする。
それはやさしさが目的でなく手段なのだとわかったから「過大」と思うのかもしれないと思う。
僕は普通に君と接しているだけなのだ。
あるいは君が僕をやさしくさせているのかもしれない。
普通に接していてやさしくなるのだからそうかもしれない。


で、結局2008年の誓いはうまく実現できたのかわからないけど、何がやさしいことなのか、その方向性だけでもつかめていたら喜ばしいことだ。

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2009年1月11日 (日)

北の家族

母に「夜まで学校で勉強してくる」と言って朝から大学に行き

君にフェラチオをしてもらって帰ってきた僕。

帰宅すると電気だけこうこうとついていて、家族はもうすでに寝ていた。


9〜11時には帰る

と母にメールで伝えていた僕だが

エッチしていたのでその時間に帰ることが難しく

11時前に、「帰宅は12時に延長する」とメールを送る。

「涼のことが信用できなくなるから、さっさと帰って来なさい」と怒り気味の返信。

すかさず僕は「今帰ってるよ」と返信。

すると母は「あっそう?」と拍子抜けな返事。

僕は何と返してよいか分からず「うん」の二文字にデコメ絵文字を添えて返信。

「安心したので寝ます。おやすみ」と母。

母の気が落ち着いたようなので僕は「おやすみ」と返信。

母はそれに対し何故かもう一度「うん。おやすみ」とかわいらしいデコメ絵文字を添えて返信。

僕は母とのやりとりが終わったと思い込み、それには返信せずモノレールの最終電車に乗る。

すると十数分後に母から再び、デコメ絵文字を添えて「おやすみったら、おやすみ」とのメール。

それからまた母に「おやすみ」と返信。

すると母は「電気達消してね」と絵文字付きのメール。

僕はそれに「はぁい」と返し、その後はメールが来なくなった。


母がやけにしつこくメールをしてくるので、僕は自分が怖くなった。

僕たちが気持ちよくなっている間に母は淋しい思いをしていた。

母は僕の人生から置いてきぼりにされている。


帰ってくるとリビングの電気が無駄に明るかった。

僕が帰るまでの間、誰のためでもなく部屋を照らし続けた電気。

僕は家庭から8割方はみ出している。

それをわかってはいるつもりだったが、何とか自分以外の所為にしようとしてきた。

社会システムの所為、親自身の所為…。

ここに来て、もうそれはできないかもしれないなと思った。

家族とは、価値観が合わなくても家族なのだ。

情けなく、申し訳なく、恥ずかしく思った。

親を大事に出来ない人間が子どもを育てられるものか―


僕は明日成人式で、母は今年五十歳を迎える。

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2009年1月10日 (土)

手記―2008.5.22

コーナー

 もうね、これ以上何もいらない。何もいらないから、何もかもなくなっちゃってほしい。それが一番効率いいんだ。というよりも都合がいいんだ。
 こんなことを本気で思えてしまうなんて、僕は相当遠いところに来てしまったかも知れない。僕を「暗い」や「欝」で片づけるような人間には理解しえないんじゃないか。もしくは頭で理解はできても心でそれを受け付けられないのかも。とにかく僕の周りには共鳴できる人間も、共鳴しようとする人間もいない。
 やさしいやさしくないだとか、男だ男じゃないだとか、そういう以前にこの問題を解決したかった。そしたらいつのまにかもっと遠くへ来てしまった。あーーやっぱり過去がっ!!
 イギリスーーー。





まあ何だかよくわかりませんがとにかく当時は何かと戦っていたんでしょう(〇>_<)

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2009年1月 8日 (木)

名古屋へ

行きたいです名古屋。

将来の?夢について
最初は広告を作りたかったんだけど、何となく違うなあと思って、自分は何をやりたいんだろうかとぼんやり考えてみて
ああ、自分は旅が好きだなということを思い出して
安直に旅行会社なんてどうでしょう。
なんて最近思った。
というか昨日思った。

どういう会社があってどういう職種があってこの手の分野はこの先どうなのよ
的なのをそのうち調べようかと思うんです。


でもその前に…


行きたいです名古屋。

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2009年1月 7日 (水)

アリエル

子どもができたら、形にとらわれないような子に育ってほしい。
というのはぶっ飛んだ子がほしいと言っているんではない。
外面にとらわれることなく、物事の本質を見つめることのできるような子に育ってほしいという意味だ。
他の人がどう思おうとも、自分だけは本質を見つめる!

まあでもこれって結局親のエゴ…。
うちみたいに「食わしてやってんだから言うこと聞け」な親になるくらいなら、形にとらわれるバカになってもいいから好き勝手生きてくれ、ってな親になりたいかな。
子どもが間違った方向に進んで行くのを修正するのは親としての義務だと思うのかもしれないが、自分でいっぱいくじけて正しい方向見つけろっていう方がいいかなと思う。
僕の子どもだったらそれくらいの力はあるはず。
子どもになるべく苦労させたくないのがうちの親だったが、僕は苦労しとけと思う。
苦労させたせいで子に憎まれたらそれはそれでしょうがないな、親の役目は果たしたし、と思う。


まあまだできる予定もない子どもの教育方針を今僕が1人で語ってもしょうがない。

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2009年1月 5日 (月)

ライブちゃん!

なんちゅーか
することがない(^O^)

わけではないんだけど
何となく心に穴が開いていて
そこをすり抜ける風がどうにも冷たいので
何かやることを無理やり見つけるんだけど(*_*)
例えばテレビを見ようとか
パソコンいじろうとか
誰かと連絡を取りたくなったり
何か食べようとか
楽器触ったり
音楽を聴いたり

どれもだめなんだよなぁ(><)
何か行為を始めると
その行為を終わらせたくなるし
終わらせたかと思うと
何かしたくなる
変な感じっす(m'□'m)
そんな数日間

次はコーンスープでも飲むかな
勉強するか寝るか
どっちかしろよって

ライブちゃん!ε=┏( ・_・)┛

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2009年1月 4日 (日)

捨て猫

君と離ればなれになって一週間近く経つ。

バイト地獄の合間に、僕は何度も8/19のことを思い出した。
二人は友達で、僕はこの二人がどっちに転がってもいいと思っていた。
恋人になってくれるのなら本望だし、友達のままというならそれはそれで諦めがついた。
諦めがつかなくなるところまで僕の気持ちが乗ってしまうこと、ただそれだけを恐れていた。

君とのやりとりはどれも友達的だった。
合宿で君と、お風呂の近くの池のようなところで夜中に二人きりで話した時に、男の友達はいるけど女として見てもらえないからだめなんだ、という話をした。
僕はそれは自分の方が彼らを男として見ていないから、そのように感じるもしくは実際にそうなんだろうと思った。
そして僕もそのうちの一人なんだろう、とその時思った。
だから僕にそういった話をしてくるんだろうと思った。
この時に僕は、汚い言い方をすると、「脈がないな」と思った。
それに僕には「友達的」云々でトラウマがあったので余計に臆病になった。
それで僕は邪念を捨てて君を楽しませてついでに自分も楽しませてもらうことに徹しようと決意した。

過去が鮮明に思い出されたんだ。
過去が広がりを見せることは現在の、もしくは未来に対する不安の表れかもしれない。
それが僕なんだ。

僕の将来を考えることは君の将来を考えることだ。
僕はしっかりお金を稼がなければならない。
君の望む生活に近付けようと思う。
正直言うと僕自身は君が語るような優雅な生活は手に入れられなくてもいいと思っている。
君がそばにいてくれたら、それが理想だから、あとは何もなくてもいいと思っている。
子供はいた方がいいが。
金がなくても、6畳一間のボロアパートでも、車がなくてもいいやと思う。
レコードプレーヤーも必要ないし、全身ユニクロでも構わない。
毎日松屋の豚丼でもいいし、安物ギターのままでいい。
好きなCDと、毎朝のコーヒー、それから君がそばにいてくれたら、あとは何にも望まない。

でも君の理想は一定のレベルに達している生活なようなので、なるべくそれに近付けなきゃ申し訳ないなと思う。
二人の理想の違いは育った環境の違いのせいかあるいは僕の頭がどうかしているせいかどっちかだ。だから君の理想にできるだけ近づくよう努力しないとな、という思いが多少ある。

君は僕を好きになってくれたんだ。
それはすごいことなんだ。
僕は君に精一杯尽くしたいと思っている。
そういう思いが過去を広げてしまったのかな?

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2009年1月 2日 (金)

こんなんやってみました

http://100mon.jp/279163

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2009年1月 1日 (木)

君は僕の文章が好きか

僕が志半ばで諦めてしまった日記は、それでも当初の目的通りに君にプレゼントされた。
そしてその夜僕が帰宅する前には君はそれを読み終えてしまった。
更に年末年始に家族で過ごすために栃木に旅立った君は、その日記を携えていた。
君に対する想いやら何やらかにやらを、僕はそんなにたくさん書いたような印象はなかったのだけど、君はそのプレゼントをかなり喜んでくれているようなので僕も嬉しい。

曲を書くこともブログを書くことも、またそれ以外に文章を書いたりするのも、僕にとってはどれも同じようなもんだった。
自分の考えや気持ちをそこに映し出すというよりも、自分そのものを、まるごと、小出しに表現していくことだった。
そのことで膿を取り去り、エネルギーを蓄えているという感覚。
だから必要なことだった。

たまに面白いものを書こうとするのも、それが僕の一部であるからだ。
僕の書く文章は以前から、案外多くの人が評価してくれた。
起承転結はないけれど、文章が簡潔でわかりやすい、ということをよく言われる。
分かりやすく書かないと、僕は頭が悪いので自分で意味がわからなくなってしまうのだった。
そしてたまに面白い、と言ってくれる人もいる。
本人は書いた当時は面白いつもりで書いているので、そう評価されて然るべきと思っているんだけど、あとから見ると何じゃこりゃ、な文章も多々ある。
それから僕が文章を書くと独特の文体になる。
今まで色んな記事を色んなブログで書いてきて(1000近くあるだろう)、自然に書いていてもこのくせのある文章になってしまうようになった。
それが実はあまり好きではないんだけど、一般的にはどう受けとめられるのだろう。

そして君は僕の書く文章を気に入ってくれているんだろうか。

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